正しさとは愚かさとは?医療安全の視点で考える
医療現場で一番こわい言葉は、実は「正しい」です。正しさは一見、品質を上げる魔法の言葉に見えます。ところが現場では、「正しい=従え」「間違い=責められる」という構図に変換されやすく、瞬間的に空気が硬直します。すると人は患者さんの安全よりも、無意識に“自己防衛”を優先し始めます。怒られないように動く、責任を回避する、都合の悪い情報を出しにくくなる。医療安全にとって最悪の流れです。

医療安全で大事なのは「事故らない」こと
安心・安全の医療とは、理想論ではなく確率論です。医療安全の核心は「事故をゼロにする」ではなく、事故の確率を極限まで下げること。人が診療する以上、ヒューマンエラーは起きます。だから必要なのは「正しさ」ではなく、再現性です。誰が担当しても、忙しい時でも、急患でも、最低限の安全が保たれる設計があるかどうか。ここが勝負になります。
正しさが暴走すると、なぜ事故が増えるのか
正しさが前面に出ると、現場は“議論”ではなく“裁判”になります。「誰が正しいか」「誰が悪いか」に意識が吸い寄せられ、患者さんの主訴や診療のゴールが薄れていきます。さらに、確認や復唱が「相手を疑う行為」に見えてしまい、必要な確認ほど省略されやすくなります。結果として、主訴の取り違い、説明の過剰、処置の先走りが起こりやすくなります。これが“正しさの愚かさ”です。
バイアスを前提にする:人は「モード」に入ると止まらない
現場には時間圧、割り込み、患者さんの不安、急な痛みなど、判断を歪める要因が山ほどあります。人は「処置モード」に入ると、確認より前進を選びがちです。ここで必要なのは根性論ではなく、行動のルール化です。「気をつける」ではなく、「手順が終わるまで先に進めない」仕組みにする。これが安全の基本です。

歯科医院で効く“最小の安全ルール”はこれ
ルールは増やすほど守れなくなります。まずは少数精鋭でいい。私は次の3つを“ゲート”として固定するのが効果的だと考えています。
1)SBARで30秒受け渡し(情報断絶を防ぐ)
受付や歯科衛生士が聞き取った内容を、結論から短く渡す。主観ではなく構造で渡す。受け渡しが「任意」だと、必ず抜けます。
2)主訴の1文復唱(取り違いをゼロに近づける)
医師は診療の最初に、患者さんの言葉を一文で復唱する。言い換えない、診断名を先に置かない。復唱は礼儀ではなく安全装置です。
3)ゴール設定(A:応急/B:検査/C:計画)
今日の目的を30秒で確定する。応急の日に長期の治療説明へ突入すると、質問が増え、目的が曖昧になり、結局どれも中途半端になります。**「今日はAで、今日はここまで」**を院内共通語にするだけで事故確率が下がります。
「確認した?」はやめる。質問ではなく“手順宣言”へ
「確認した?」は、相手に逃げ道を与えます。「したつもり」「あとでやる」が成立してしまうからです。代わりにこう言うべきです。
「ゲート未実施なので止めます。SBAR→復唱→ゴール宣言をお願いします。」
これは人格批判ではなく運用です。現場の摩擦を増やさず、行動だけを揃えられます。
正しさの代わりに使う言葉
現場でおすすめの置き換えは次の通りです。
正しい?→ 安全か?(事故確率が下がるか)
正解は?→ 再現できるか?(誰でも同じになるか)
なんでできない?→ どこで崩れた?(設計の弱点はどこか)
この言葉に変えるだけで、チームは“責め”から“改善”へ移ります。
まとめ:正しさより、安全の再現性を
正しさを掲げることが悪いのではありません。怖いのは、正しさが「人を守る盾」や「相手を裁く剣」に変わることです。医療安全のゴールは、誰かが正しいことではなく、患者さんが安全であること。そのために、バイアスを前提に、受け渡し・復唱・ゴール設定・チェックリストで“事故りにくい構造”を作る。これが、安心・安全の医療を現場で実装する方法です。








